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侘びぬれば 今はた同じ 難波なる

身をつくしても 逢はむとぞ思ふ

 作者:元良親王(もとよししんのう)

解説

この歌は、作者が、宇多院の后、藤原褒子(ふじわらのほうし)との不倫が見つかってしまった時に詠まれたものです。

この密会が発覚すると、周囲から会うことを禁止されてしまいました。

しかし、気持ちは抑えられなっかようで、この歌を褒子に贈ったようです。

「侘びぬれば」の「侘ぶ」は「悩み苦しむ」の意味です。

こんなに悩み苦しんでいるのだから、命を滅ぼしてでもあなたに会いたいと言っています。

「今はた」の「はた」は、「また」の意味で、「身をつくしても」の「身をつくし」は「身を尽くし」と「澪標(みおつくし)」の二つの意味があります。

「澪標」とは、船の航路の道しるべとなる杭(くい)のことです。

以上のことを踏まえると、「こんなに悩み苦しんでいるのに、このことが発覚してしまった今となっては、どうなっても同じことです。それなら、難波潟の澪標のように、あなたに会いに行こうと思います。」の意味になります。

 

文法の意味と解説

※ 侘びぬれば

「侘ひ」は「侘ぶ」の連用形で、「悩み苦しんでいるので」の意味になります。

※ 難波なる

「なる」は存在(所在)を表す助動詞で、ここでは所在を表すので「難波にある」の意味になります。

※ 逢はむとぞ思ふ

「逢はむ」の「逢ふ」は、男女の契りを表します。「ぞ」は係助詞で、「思ふ」を連体形で結ぶ係り結びになります。(~である)の意味になるので、「逢いたいと思います。」の訳になります。

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